【総評】『仮面ライダー剣』―本能ではなく、意思を持って闘争したからこその結末の「エモさ」

特撮ファンとしての最大の悔いがやっと晴れた。『仮面ライダー剣』の再視聴を終えたことによって。


放映当時、序盤は毎週楽しみにしながら見ていた。面白くないと思ったことなど全くない。それなのに、受験期の忙しさから、意図せずいつの間にか見なくなってしまっていた(しかも最終話だけは家族がつけていたので見ている)。後年、『電王』でも同じことをやってしまっていた。悔やんでも悔やみきれない。しかも『剣』に関しては、まだ順番に見ないと気が済まない!という気持ちが弱かったために、のちに弟がDVDで視聴する際に中盤の数話を除いて半端に一度見てしまった。10数年の間、「俺はまだ真の平成ライダーファンではない…」という思いが所々顔を出してきた。だが、もう恐れることはない。私は平成ライダーファンだ。


後に続く者たちが同じ目に合わないよう切に願う。どんなに忙しくても、リアルタイムで追いかけないことは悔いが残る。鉄則だ。ゆっくりでも追いかけていこう。接触をゼロにしてはならない。戦わなければ生き残れない。


『剣』は最終回がとても評判の高い作品だ。話題になる度に「終わり方がすごい」などと言われる。確かに、放映当時にそれまでの流れを全く見ていなかった状態で見た最終回にもパワーを感じていた。「これはここだけ見てはいけなかった」と。終盤の展開については様々な人が繰り返し語っている通りで、改めて見ても素晴らしい。人間みんなを守ると言っていた剣崎一真がそれを実現するのみならず、人間の中で生きようとするジョーカーも守る。「運命と戦い続ける」ことを選択するという自己犠牲のもとで。


一方で、序盤はあまり評判がよくない印象がある。ダラダラとライダー同士の戦いが続く、といった評価を目にしたことも多い。しかし、本当にそうだろうか。『剣』の最終回があれほど「エモく」なったのは、序盤から引き続く「ライダー同士の戦い」あってこそではないか。


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『剣』に登場する仮面ライダーは、TV本編では4人に絞られる。最初期から出ている3人も、追加されるレンゲルも、ことごとく「ライダー同士の戦い」を繰り広げる。『龍騎』のように戦いをゲームとして強いられているわけではないが、共闘すらしないのが最初期だ。敵対関係ともいえる闘争を続け、味方には決してならずに戦いを繰り広げるさまは確かに序盤のフラストレーションの要因だったかもしれない。しかし、それ以降、この闘争こそがむしろ『剣』全体の魅力を引き上げていくと言えるのではないか。当然、段々4人のライダーは戦いの中で交友を深めていく。普通ならそれは、仲間になり、黒幕的な敵との闘いに向かっていくことだろう。しかし、『剣』において完璧にそうだ、と言える展開になるのは終盤の数話にすぎない。交友を深める中でも、手を変え品を変え闘争の構造を巧妙に続けていく。それどころか、一度4人の共闘になっても、最後までそれを続けることは許してくれないのだ。


第44話

第44話

  • 発売日: 2015/08/27
  • メディア: Prime Video


当初は自分本位な争いが多い。始はアンデッドの本能のままに襲い掛かり、橘はライダーシステムに増幅された恐怖心を払うためには何でもやる。そんな2人のライダーの振る舞いに対し、当初は説得するも、徐々に打倒してでも人々を守ろうとする剣崎。(まぁ、もう少し相手の話も聞いてあげて…と思うこともあったが。)人に害なすアンデッドを、それぞれの理由で封印しながら3人はお互いに闘争する。そこに睦月が、カテゴリーAの邪悪な意思に徐々に呑み込まれる、敵対しやすいライダーとして参入すれば、橘は自分の過ちを繰り返さないよう、彼を救おうとする立場におさまる。そして、敵のような振る舞いをするライダーという立場が入れ替わるかのように、天音以外の人間を守る始の善性が見え始め、剣崎がそれを守ろうとする。


睦月が強さだけを求めてさまよってしまう間は、橘が救おうとする相手が剣崎に変わる。今度こそ、と。ライダーシステムのせいで恐ろしいことにはさせないと(こう書いたとき、キングフォームの「リスク」は序盤の「体がボロボロ」が実際には問題なかったことの逆なのだと気づく。融合係数が低いから問題を生じた橘と全くの逆)。救うためには剣崎の思いとぶつかることも辞さない。中盤以降、睦月以外は「守るためには戦うしかない」状況が、序盤から引き続く思いから自然に紡ぎだされていく。そして最後にはすべてを乗り越えた睦月が、世界を平和にするために考えた結論として戦う。彼もまた、邪悪な意思に取りつかれていたころとは異なる理由で信じたいと思っていた始と闘うことを選択しなくてはならない。


その闘争を引き起こすためのアンデッドと世界観の構成もたまらない。シナリオが常に闘争を強いてくる。序盤こそ単に人類の敵でしかなかったアンデッドが、キャラクター性をもって絡みはじめることで彼らとの接し方でまた衝突する。全部で53体しかいない設定を乗り越えるために、人造アンデッドであるトライアルシリーズを出すタイミングも絶妙だ。そしてアンデッド以外の悪を出すことによって完全な共闘を描いてからの、運命そのものとも言えるジョーカー勝利を描く流れ。安易に共闘できない仕組みが闘争を生む。


終盤において、ライダー同士の関係があれだけドラマチックになったのは、様々な闘争を経たが故なのだ。つい目を引く剣崎と始の関係だけではない。人類を守ろうとするために合理的な選択を取ろうとしてきた橘が、始を失いたくない仲間として守ることを選ぶのも。始が剣崎以外にもメールを送りティターンをだますのも。睦月がジョーカーの封印を最後の最後まで選ばなかったのも。すべては彼らが闘争をし続けた結果として現れる。本能で争うアンデッドとは違う、運命を切り拓く意思が起こした闘争の結果として。だからこそそれぞれの選択が、結末が、胸を打つのだ。


今もきっと、彼らは―剣崎以外も―戦い続けているだろう。例えアンデッドがいなくとも、平和を守り、仲間のためならどんな相手とも戦う覚悟がある彼らだから。