【答え発覚前までのまとめ】答えだけが魅力ではない―「キュアエクレールの正体は誰!?」キャンペーンを楽しみつくすためのこれまでの要素振り返り

この1か月、様々な人の興味を引き付けて離さなかったことに、ついに答えが出る。

「キュアエクレールの正体は誰!?」キャンペーンである。

 

これまでのシリーズを追ってきている身としても、かなり楽しい試みだと思ってハマっている。

多少正体不明の状態を引っ張るのは、これまでのシリーズにもいくらかあった。

しかし、ここまで大々的に作品外の現実世界でプロモーションし、大きなムーブメントにしたことは類を見ない。

ティザービジュアルの時点で顔見せしておきながら、中盤になるまで存在にすら触れない。キャラクターデザインの時点から候補4人全員に似せた部分を作り。果てはラスト1か月、メタ的にアバンで毎週視聴者に推理を促しつつ、候補4名1人ずつについて「正体かもしれない」と思わせる展開を混ぜ込んだ回を放送する。

ここまで徹底されて、楽しくないわけがないのである。

 

「キュアエクレールの存在をメイン視聴者層の子どもたちは知らないんだから大人向けのキャンペーン過ぎる」なんて意見も見たが、ティザービジュアルにいるということは児童誌や各種グッズにずっと映り込んでいるということであり、やがて追加されるプリキュアとして気になる存在であったはずだ。X上で「うちの子はこう推理している」という話を見ると大変ほほえましい。

 

さて、答えが明らかになる前のギリギリのタイミングではあるが、これまでのことをまとめたくなってしまった。このキャンペーンは「答えがどうであれ面白かった」という感情を記しておきたい、というのが動機だ。

Xの観測上、4人の候補のうち、正体はくれあなのではないか、という予測が多いのではないか。特に、23話の演出があまりにもすごすぎて、大人目線これで違った場合のひっくり返し方ができるのか?という疑問を持つからだ。

 

毎週のようにファントムが仕掛けるマコトジュエル奪取時に作る謎について、「子どもにも解けるような謎」にしようとしているという話であった。そうであれば、今回のキャンペーンについても、子どもにもわかるような演出にしたのではないかとも思わなくもない。

 

ただ、それでももしかしたら違うのではないか?という疑問が捨てきれない。ここがこのキャンペーンの面白さだと感じている。候補4人ともに「もしかして」があるように表現されているのだ。もし仮に予測通りくれあが正体だったとしても、その「もしかしてと思わされた要素は何だったのか」という面白さが残るのだ。そして、他の三人が正体だった場合は、同様に23話の演出は何だったのか?という話になる。

 

ここで、正体判明及び判明後の候補4人の扱い方すべてを楽しむためには、各回における謎の仕込まれ方について振り返った方がよりこの仕掛けを楽しむことができるのでは?というのがこれを書いている理由だ。こんなにギリギリのタイミングに思ったのが悪いのだが、飛ばし飛ばし急いでみたので、抜けている要素もあるかもしれないが、とりあえずあらかたの描写は記載しているつもりである。

 

候補4人の描写だけでなくキュアエクレールが消えた事件に関係する、マコトジュエルや、かつてのパートナーと思しき森亜るるか/キュアアルカナ・シャドウなど、関連しうる内容まで記載する。

 

●未来自由の書の予言

・マシュタンら「占いの妖精(12話でジェットから言及)」の先祖が記した伝説の書であり、これから起こることがすべて書いてある。誰も読み解くことができなかったものをウソノワールのみ読めた(13話・マシュタンより)。

・二人のプリキュアのことについては記載がない。

→ウソノワールは記載のないプリキュアを異物として排除しようとしていたが、戦闘の中で「今はこのまま去れ」という記述に変わったためやめた。記述が変わったきっかけは不明だが、キュアアンサーがウソノワールの能力を破った後。

・るるかも「違う時代から来た」ことについて関心を示した(7話)ことから、るるかにとっても未知の現象。

・「一九九九年、七の月 真の地で、真実の石を抱くもの 大王となる そして、世界が嘘の陰で覆われる」との予言がウソノワールの目的。真実の石はマコトジュエルであるため、1999年7月までに入手する必要があると考えている様子。

→7月19日であることがいつの間にか確定しており、ニュースで報道されている(23話)

・キュアエクレールについて、「青き蝶が舞い戻る そして4つの花から羽を止める一輪を探す」と予言。ニジーは正体と疑わしい人物が4人いると解釈。

●ウソノワール

・ニジー曰く、ウソノワールが動けば世界が壊れてしまう危険性がある(13話)。

・自分の思うがままの世界にするために、世界を嘘で覆う、という目的を語っている(13話)。

・世界を嘘で覆う、とは現在もわずかな時間行使できる「ついた嘘を本当にする」能力を、マコトジュエルの力によって永続的に発動することを持って行う。

:キュアアンサーは意思の力で「ウソノワールに跪く」という嘘に覆われることを防いだ(13話)。

・使うべきではないとしつつも、エクレールの物と思しきマコトジュエルを使い、7月19日に間に合わせようとしている模様。

●マコトジュエル

・人間たちの心から現れた真実の思いが寄り添い、形を成したもの。

・キュアット探偵事務所がファントムから奪われるのを防ぐため、世界各地を転々と移動させていた。

・まことみらい市に現れた際、ウソノワールが手にしようとした寸前で「キュアット探偵事務所の邪魔が入り(ウソノワール談)」、粉々になりまことみらい市に散った。

:ここでウソノワールの目的を妨げたのはキュアエクレールのはずだが、キュアエクレールの存在は「キュアット探偵事務所」に把握されていない。

・怪盗団ファントムはいつもまことみらい市で事件を起こしている(12話・みくるの発言)のは上記のかけらが散った経緯のため。

・ポチタンは毎話回収したマコトジュエルのかけらをどこかへ移送し、元の巨大なジュエルに戻すことを無意識に行っていると推測されている(13話)。

●キュアエクレール

・対峙したファントムの面々も正体は知らない。

・エクレールの復活を危ぶむファントムの面々に対し、ウソノワールはキュアエクレールの正体に関心はなく、マコトジュエルの入手の方が優先。

・るるかの認識では「現れるはずはない」(21話・独り言)。その後、キュアアンサーらには以下のように語る。

誰がなったのかもわからない。ただ一度だけ、あの時マコトジュエルと一緒に消え失せた。だから、二度と現れない。

=誰がなったのかわからなない、についてはブラフの可能性が高いか。

・ロンドンのキュアット探偵事務所は存在を把握していない(21話・ジェット先輩の言)。

・まことみらい市のキュアット探偵事務所でるるかとともに行動しており、現在のみくるの部屋を使っていたのではないか、とあんなたちは推測している。

→庭にある百合の香りがしたため、その香りが好きだった可能性がある。

●森亜るるか/キュアアルカナ・シャドウ

・1983年11月1日生まれ。16歳。まことみらい市のキュアット探偵事務所に赴任する前は、ロンドンのキュアット探偵事務所で数多くの難事件を解決し、天才探偵と言われていた。

→ロンドンのキュアット探偵事務所からの手紙より。ジェット先輩は「キュアアルカナ・シャドウについて問い合わせた」と言っており、森亜るるかの名前はこの手紙で知ることになる。

=ロンドン時代からプリキュアとして活動していたのだろうか?

・ジェット先輩がロンドンからまことみらい市に来たのは、まことみらい市の数か月前に突然姿を消したことで、事務所を閉めるため(2話)。

・まことみらい市のキュアット探偵事務所にいたころは、あんなの部屋を使っていた。

→このことを指摘された際、ゴウエモンは驚いていることから、るるかの前職をファントムの大半は認識できていなさそう。

・ファントムに身を置いているのは、「やることがある(13話・本人談)」ため「自分の意志(15話・本人談)」。「探偵では解決できない事件もある(15話)」とも。

・ウソノワールが所持するキュアエクレールの物と思しきマコトジュエルが必要そう。

・ハンニンダーによるポチタンらへの攻撃を止めた(6話)ことについて、時空の妖精ポチタンの「マコトジュエルの危険を感じる力・マコトジュエルをあるべき場所に戻す力」に興味があっただけ、と言及(12話)。

・偽物を展示した宝生美術館に予告状を出した際、本人は以下のように語る。

「偽物の、ウソの首飾りが人をひきつけ、マコトジュエルが宿るなんて嘘もまんざら悪いものじゃない。そう思わない?名探偵さん」

⇔一方、みくるとあんなは「偽物だと暴くことが目的だったかもしれない」と感じた。

・ミサンガを切っても思いを切らないようにする会話の際、つい本音を語るようなそぶりがあった。

るるか「ミサンガが見守ってくれたことも、まさみさんが彼のことを思う気持ちもどちらも嘘じゃない、本当のことでしょう。だったら、その気持ちは大事にして。忘れちゃダメ」

マシュタン「るるか……?」(12話)

・キュアアンサーからの「写真のるるかさん、笑ってた」との言及に顔をゆがめる(15話)。思うところあり。

:笑顔でない人の「力になりたい」のが探偵とのキュアアンサーの言に対し、「探偵は依頼があって動くもの」と言いつつ、目をそらしている。

・形のない思い出を守ろうとするキュアアンサーに対し、以下のように語る。

もしも、すべて忘れてしまったら……記憶をなくしてしまったら……思い出に意味なんてない

→エクレールに記憶がないから探しても無駄である、という表現。ただ、この発言の際の回想はかつてのるるかの姿だった。「忘れられる側」としての演出だろうか。

●エクレール候補①:来栖エリザ

・2話の被害者として初登場。高校生でありながら、『消えた宝石』で推理小説新人コンクール大賞を受賞。

・16話で再登場。小説のアイデア元のためにキュアット探偵事務所の猫探しの依頼に同行。最後のツメ以外のすべてをほぼ一人で推理している。

:「プロファイリング」についての知識あり。「なりきりひらめき!」

・「あきらめない心が真実のページを刻む」。発刊した「名探偵エリーの事件簿~猫探偵の挑戦状」の帯にも「真実のページを刻もう!」と記載。

・21話に再登場。16話の際の依頼者の笑顔が探偵魂に火をつけたため、正式にキュアット探偵事務所に入ろうとする。

探偵として真実のページを刻むって決めたの!

:探偵には「小さいころからなりたかった夢」だったが「なり切れなかった」と編集に語っており、「私も(あんなとみくるの)二人みたいなコンビだったら、今頃名探偵だったかも」と意味深な発言をしている。

・現状、新しいアイデアが生まれたので小説を優先するが、探偵を諦めたわけではない。

・かつてキュアエクレールの部屋だったとされるみくるの部屋について、「なんか落ち着く」と表現。

・青い蝶(キュアエクレール)の写真を見つめていた。

●エクレール候補②:家入しるく

・9話の『学校でTRY』収録のため、まことみらい学園へ来た際に初登場。高校生と俳優を両立している。『想い重ねて』主演、AQUA SWEATCM出演、Le BlanceCM出演、GirlsScene表紙(バッグの中身初披露特集記事)。

・22話で再登場。ファントムからの予告を受け、キュアット探偵事務所に依頼。

・るるかにとって、「演じる星/スター」として真っ先に思いつく存在。

・るるかはあんなへの変装時、「しるく!」と呼び捨てで呼んでいる。

・普段のあんなに対する観察力をもって、るるかの変装を見破った。

・アルカナ・シャドウとキュアアンサー/ミスティックらの戦いの際に演じていた舞台のセリフは以下の通り。

それでも信じている。誰もが私を疑っていても、すべてを奪われ、私が私でなくなってしまっても……信じてくれる仲間がいれば、何も怖くない。私の本当を守ってくれる そうでしょう?

・あんなとみくるのことを舞台を共に守ってくれた「大切な仲間」と称する。

・あんなとみくるは、しるくに対し予告状を出したるるかの狙いは「しるくのなくした記憶を呼び起こそうとしたためではないか」という会話をしている。

●エクレール候補③:帆羽くれあ

・2話の事件現場パティスリーチュチュ店員として初登場。

・10話で再登場。マカロンを依頼人に勧め、母の思いが別にあるかもしれないというヒントになる。

・17話で再登場。母親と別れた日のことを思い出すあんなと会話し、「その人が一番喜ぶケーキ」としてそっくりのケーキを作った。

+マジパンでキュアット探偵事務所のみんなを作った際、「とってもかわいいから」という理由でポーチとして認識するポチタンも作っている。

・「心のきらめき」-心にあるまっすぐな気持ちは真実として大切にするものと考えている。

・23話で再登場。るるかから予告状を直接受け取り、キュアット探偵事務所に依頼。

・るるかはパティスリーチュチュの常連であるが、めったに店内で食事はしてこなかった。本人は「おいしいから来ているだけ」と表現。

・るるかの雰囲気があんなに近いと思い、ブルーベリータルトを提供した。このことについてマシュタンは「あの子、るるかが名探偵だって気づいたのかしら」と言及。るるかはややうつむく。

・るるかに対し、「怪盗だとは信じられない」と表現。

→るるかは名前すら知らないのにどうしてそう思うの、と応答。

→アイスを幸せそうに食べてくれることだけは知っていると返答。

・るるかが予告状を直接渡してきたことに対し、キュアット探偵事務所へ依頼してほしいからわざわざやったことだと推測。

・キュアット探偵事務所の青い蝶の写真に着目した。

・香りが記憶を呼び起こすことについてあんなたちにヒントを与える。

・唯一ハンニンダー戦時に生じる「密室」に入れている。

 ただし、この空間についての言及は3話の以下のもののみ。

アゲセーヌ「ファントムの新技術 あんたたち以外いない密室 これで事件は迷宮入りっしょ」

 この対象とする「あんたたち」が「妖精・プリキュアとの関連がある存在」を意味しているかは不明。あんなやみくるは変身前の時点で移動する場合もあるため、変身が条件ではない。

・「密室」に来たことについて、そっちの方に取られた写真がありそうだという直感=心のきらめきに従ったからと表現。

・るるかに対し、百合の花言葉をもって「純粋だからこそ誤った方に突き進んでいる」と分析したうえで、あんなとみくるのきらめきを信じている、と考える。

●エクレール候補④:金田れい

・14話で初登場。私立まことみらい学園三年、学園理事長の孫娘にして生徒会長。成績は常にトップである。

・動いているポチタンと遭遇し、驚きつつも受け入れた。

・ハンニンダーの「密室」に入れなかった描写がある(14話)。

・24話で再登場。七の月の大王の話で怯える生徒たちのため、学校の怪談事件の捜査に赴く。

・普段の学校の様子からの違和感を指摘し、解決に導いた。

・ポチタンを身を挺して守った。

・ニジーの発言により、プリキュアの力があれば守れるのではないかと思った。

・キュアミスティックを目撃した。

●その他

・12話冒頭、硬い窓を押し開けた際、青い蝶が2羽入ってくる。ラストにもう一度開けた際は1羽だけ入ってきた。

 

さて、まとめていたら放送直前まで迫ってきてしまったが、このあたりの要素がどこまで拾われるのか。逆に「まだ拾わずに先に残る」謎があるのか。どちらにせよ、楽しみは尽きない。

キャラクタースリーブ 名探偵プリキュア! キュアエクレール (EN-1611)

【視聴感想】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX 第5話 ニャアンはキラキラを知らない』―衝動への対処の違いとキラキラの差

 もう次の話が来てしまうころになってしまったので書くか悩んだところだが、5話は4話のルートからさらにいい意味で裏切ってくれたので書いておこうと思う。

 

 

 

―以下、内容に触れるため未見の人はご注意を―

 

 

クランバトルへ向かわせる青春の衝動

 前回の最後で「人を殺すことさえする領域」に踏み込まなければならないという思いにいたったマチュ。ショックは受けていたものの、どちらかと言えばその受け止め方は「近づきたいシュウジとの差」としてだった。だから今まで以上にクランバトルに向かっていくのか、と思いきや、むしろ物思いにふける。

 

「もしこれはと思う相手なら 頭空っぽにして追いかけてみるのも悪かないよ。」

 

 アンキーは、シュウジを追うマチュの背中を押す。恋愛相談にしか聞こえないが、これはわざとだ。「シュウジに惹かれて追いつきたい気持ち」と、「母などから逃れる自由」と、「地球の空を目指す気持ち」はすべてつながっており、その手段はマチュにとってクランバトルに集約される。マチュにとっての自己実現。確かに殺し合いにつながる恐ろしいことなのだが、別にそこは目的ではない。多少の悪でもマチュにとっては、進むべき道がクランバトルなのである。

 なるほど、ちゃんと殺し合いを覚悟の必要なものとして描きつつ、シュウジに惹かれる気持ちを後押しする。非常にシンプルな構成に整理された。視聴者からすれば、マチュはもう「クランバトルに全力で向かって殺し合いの道に進む」ルートが、これ以上ないくらい舗装されているように見える。その危うさで失敗する、とか、いろんな作品で見た姿が浮かぶ。

 しかし、むしろマチュはいつもと変わらない姿を見せる。1話のエネルギーを失ったわけではない。軍警に対する怒りは唐突な蹴りとして今回も見られた。抑圧的な大人に対しての「正義の怒り」。カミーユを彷彿とさせる狂犬っぷり。しかし、そこだけなのだ。クランバトルの話をする時も、シュウジとニャアンに対しても、マチュは「普段通り」で、変わった様子がないのだ。このマチュと対比になるのが、今回のニャアンの変貌だ。

 

ニャアン=意外とかわいい名前すらも、刷り込み

 獣のように荒々しく、マヴとの関係も他とはまるで違う自分本位さ。覚悟を決めて乗り込んだニャアンの見せる戦いは、「殺し合い」それそのものであり、マチュが向かうように思われた道はまさしくこの姿ではなかったろうか。

 予想だにしていなかったけれど、見事に腹落ちする。それが今回のニャアンのあり様だ。ニャアンは1話から徹底的に「力の無い」キャラクターとして描かれていた。「簡単なこともできねぇのか」と言われてしまう「出来ないイメージ」。視聴者の信じ込まされていた姿だ。

るかっぷ 機動戦士Gundam GQuuuuuuX ニャアン 完成品フィギュア

しかし、私たちはニャアンの過去を知らない。モビルスーツに乗るニャアンを知らない。その隙間に見事に「苦労してきたニャアン」というピースがハマる。そもそも「難民となった理由」があったはず。どんな理由があったのか、まだ何も語られていなかった。モビルスーツに「乗れるのかどうか」すら、勝手にできないイメージを持たされていただけに過ぎない。

 そして、それ以上に見事だったのが、苦労してきたがゆえに、「我慢してため込んでいた」という側面。今回の軍警に対しての態度がそうであったように、ニャアンは理不尽に耐えてきた。マチュのように大胆にはできない。外交官の娘だし、捕まったとて何とかなりそうなマチュとは違う。後ろ盾のないニャアンには、強制送還だってあり得るし、もっとひどいこともあり得るかもしれない。ニャアンはそうやって生きてきたのだ。その我慢してきたことの「解放」が、あの暴れっぷりなのは、納得と言わざるを得ない。

 

持てるマチュの余裕と持たざるニャアンの渇望

 さて、このニャアンの見せた姿が、マチュの半端さを浮き彫りにするのがすごいところだ。前段のマチュの思い悩みとニャアンの変貌、普通なら絡まない要素だと思える。別々に描いてしまいそうなものを、見事に同じ話に詰め込むことでビビッドに二人のスタンスが比較される。

 軍警への対応の仕方がまさにそうであったが、我慢するしかないニャアンに対し、感情を露にできるマチュ。その違いとして、マチュには一貫して、どこか「余裕」とか「甘さ」があるように思える。軍警への蹴りを見ても、一見とんでもない行動をやる豪胆さを描いているようで、マチュにはプランがない。きっとなんとかなるという気持ちくらいしかないのだろう。結果、クラバトに行けない。自業自得である。

 そこから思い返してみれば、シュウジに追いつけていない、という自覚がありながらも、「もうすぐ地球に行けるよ」というクラバトに対しての楽観視。シュウジに惹かれているのに、ニャアンの後追いをするだけに留まる脱衣シーン。あらゆる点において、本気度が足りない甘さがあるのではなかろうか。普段から感情を出せる環境にあって、不満や衝動を言動に表せているマチュの欲望は、強くはあるだろうが、渇望するほどの衝動としては出てこない。小出しにしては思い悩む。それが悪いわけではない。その姿は非常に「普通の少女」的で、むしろ自然なのだ。

 だが、それゆえに「シュウジとのキラキラ」という自分だけが特別であった「力を持つものとしての余裕」から追い落とされることになる。さて、ここから二人はどうなるのか。

もうどうなってもいいや

 エンディング映像の最高の環境は本編ではもう見られないのか。今回のラストシーンにつながった理由が、お互いを思いやった結果なのもまた興味深い。どちらに転んでも面白い話になりそうではあるが、願わくば二人とも幸せになってほしい。

 ニャアンはキラキラを知らない。5話で見たものは「マチュと同じキラキラ」だと言えるのか。同じ色を見ることはあるのか。そもそも「キラキラ」とは何が見えている、ということで、どうして見え方が異なるのか。二人の関係にも、ニュータイプ論にも目が離せない。

 

一年戦争IF、やりすぎ。

 のに、キケロガとか言い出してんじゃねぇ!気が散る!!

  

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 長くなったので、ドム愛は一言だけにしておこう。

 そのホバーの解釈は最高すぎる。安定性のための三本足だと?

 地上でもやってくれ。

【視聴感想】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX 第4話 魔女の戦争』 ―魔女の生き様が残す傷痕

 かつて忙しさが突然消えたコロナ禍の一時期だけ更新していたものの、再び忙しくなり5年放置していた当ブログ。職務の変更により突然忙しさが吹き飛び、どうにも心に隙間がある状態。そこに鮮烈に流れ込んできたのがGQuuuuuuX 第4話である。Beginningの衝撃以降、初めての「新作映像」であることもさることながら、約25分という短い時間に、ここまでの感情を動かすものを詰め込めるとは。その衝撃を記録しておきたくなったので、久々にキーを打つ。

 

 

―以下、内容に触れるため未見の人はご注意を―

 

 

「この世界の一年戦争では失われた機会」が動かす戦後

 劇場で見たBeginningの時から興味を惹いて止まない、初代『機動戦士ガンダム』のIFとしての要素は、第4話においても健在だ。少し絡めばいいかな、程度の期待感で見ていたのだが、1つや2つに収まらない。

 ガンダムのマスプロモデルー量産化のための機体がまさかの名前で登場する。

GQuuuuuuX(ジークアクス) HG ゲルググ スガイ機(GQ) 1/144スケール 色分け済みプラモデル

 初代『機動戦士ガンダム』におけるガンダムのマスプロモデルにあたるジムは、ガンダムがシャアに奪われたことによって生まれなかった。ではジオンでそれが作られるとすれば?命名はジオンの方で「生まれなかった機体」の名を冠することになるのだろう。デザインはガンダムが元だから結局ジム似であるところがまた興味深いポイントだ。驚いたが、考えるごとに「歴史がどう変わりうるか」真剣に考えている様子がうかがえるのがファンとしては単なる驚きにとどまらない嬉しさがある。

 同じこだわりを感じるのが「モスク・ハン博士」の存在だ。本当に初代ガンダムのファンしか覚えていない ――一方でファンなら大体覚えている――名前をよく出してくるものだ。「アムロの反応についてこられないガンダム」が生まれなかった世界で、マグネットコーティングを試す機会に、連邦では恵まれなかったのだろう。民間警備会社ドミトリーに所属したのは、あえて「クランバトルに関わる」ためであり、その甲斐あって今回の機会に恵まれた。拾わなくても決して困らない要素を「面白がって拾って」シナリオに生かしてくれることは、ファンとしては毎回の楽しみになってくれる。

 そういった小さな要素に留まらないことが感じさせられるのが冒頭のイズマ・コロニーの軍警たちの会話だ(ワードさんとチャイチさんと言うらしい)。Beginning時点でファンの中ではすでに予測され、議論を呼んでいたことだが、ジオンの状態が「次の戦争はギレンとキシリアの身内争い」であることがついに明言された。その争いを進めるうえで赤い彗星の生存可能性が邪魔であり、のちのシーンのポメラニアンズの会話においてシャアが「命を狙われているお尋ね者」とされていることも合わせて、今後の展開にも「IF一年戦争後」であることに向き合っていくのではないだろうか。シャリアが赤いガンダムの捜索をして、いまだ戦艦ソドンをイズマ・コロニー内においた理由もそのシャアの捜索という名目があるからか。1クールという短い尺の中でどこまでできるのかはわからないが、このままセリフの中でも構わないから使い続けてもらえることを期待しておきたい。

魔女の人生―人は望むものすべてを手に入れ得るものなのか?

 しかし、この第4話に感じた衝撃の本質はそういった、「旧作ファンへのサービス」部分ではない。たった25分で一人の人生を濃密に感じさせながら、その喪失がもたらす主人公マチュとこの世界におけるニュータイプ論に大きな影響を与えた点である。

ジークアクス MAVアクリルスタンド シイコ・スガイ W

 シイコ・スガイに心惹かれてしまった人は多いのではないだろうか。かくいう私もその一人だ。放送日からファンアートが爆発的に増えているのを観測しているが、その魅力が彼女にはあった。

 公式サイトをして「おっとりした女性」という表現で表され、笑顔でうふふと笑う可愛らしさ。その一方で、一年戦争で100キル以上のスーパーユニカム(余談だが、初代ガンダムの連邦であればアムロに次ぐ3位の撃墜数になる)。その無茶ともいえるスティグマ戦術による戦いぶりも、迫力と格好良さに満ちていた。MSに乗れば激情を隠さず、ガンダムを追い続ける執着。文字で書いてしまうと「MSに乗る時だけ人格が変わる」みたいなテンプレキャラに単純化して見えてしまうかもしれないが、そうではない。彼女の人生がそうさせたのだと納得できる回想と語りによってその二つの姿はしっかりと接続されており、解離していないのだ(モスク・ハン博士と対面した時の冷静だが暖かな笑顔を見せないシーンがちょうど二つの姿の中間を表現できていたように思う)。

 

「何かを手に入れるために何かをあきらめなきゃいけないなんてそんなの理不尽じゃない?望むものすべてを手に出来たら、どんなに幸せか。」

 

 シイコの執着。戦時中に、恐らく愛したマヴを赤いガンダムを狩るシャアによって奪われたことで、「望んだすべて」を手に入れることが叶わなくなった。奪ったシャアが消えてしまったことで、望むものすべてが手に入らない理不尽な世界を受け入れられるようになった。そんなシイコにとって、再来した赤いガンダムは「すべてを手に入れられる可能性」なのだ。そんなものはないと言い聞かせた可能性。

 

「馬鹿な魔女。」

 

 アンキーはそう評したけれども、シイコにとってもう一度理不尽を受け入れるためには、もう一度赤いガンダムを消し去るしかなかったのだろう。はたから見れば幸せな家庭を築いているのに殺し合いに身を投じる愚かな姿だろうが、彼女にとっては、幸せな家庭生活に戻るためにこそ必要な手続きなのだ。愚かだろうが避けようがないことだった。「お前が選ばれたやつでないと証明してやる!そうすれば私は!」の後に一瞬移る家族三人の姿。かつてのマヴと、かとも思えなくもないが、ぼうやがちゃんと描かれているのでこれは今の家族だろう。この戦いに勝てば幸せな家庭に改めて帰れたのだと思う。

 しかし、そうはならなかった。だからこそ鮮烈なメッセージとして残るのである。シイコはニュータイプの存在を否定できなかった。むしろシュウジと交感してしまうシイコ自身がニュータイプである。素養があると言われても、「望むものを奪われた」自分をそうだとは思いたくなかったから存在ごと否定したかったのに。しかし、敗北し、死を迎えてしまったシイコであったが、最期に「ぼうや」の姿を見てほほ笑むその表情はおだやかな笑顔であった。単に最期だから、という描き方ではない。シイコ自身は最期に執着から解放されたのではないだろうか。「すべてを手に入れられる(奪われない)力」を求めていたシイコだったが、その力を持つと思っていたシュウジは「一つだけを願う」存在だった。この事実こそが、シイコにとっては救いなのではなかろうか。ニュータイプと言えど、多くを願えるものではない。あるいは、自分とは全く対比的な願いを知り、シイコもまた、過去望んでいたすべてではなく、今願うべき一つの望みを思うことが出来たのではないか。最期に再び見た「ぼうや」との生活を。

 視聴者にも傷が残るあまりにも鮮烈な印象を残す人生であった。描いただけでなく、それがちゃんと主人公であるマチュのストーリーラインに大きな影響を及ぼすところまで描いているのだ。どこまで25分でやっているんだ。

キラキラに近づくためにキラーに近づいてしまうマチュ

 Beginningのころから見られていた3話までの時点で、マチュには現状への閉塞感があって、自由を求めたいという様子が描かれていた。自由を求める心は、それが感じられた「キラキラ」を求める心につながり、そことつながるシュウジへの憧れの気持ちとしても現れる。今回も、シュウジが行くなら地球にも行きたがり、赤いガンダムが盗んで手に入れたものだったとしても、マチュはそれを「いいねそれ!」と肯定するほどだ。

 そんなシュウジへの憧れの気持ちが、同じ力を持つ魔女との出会いによって具体化されてくる構図が非常に巧みだ。マチュの魔女との接触時間は非常に短い。会話も少ししか描かれていない。魔女はそもそもシュウジのことを知らないため、シュウジについて具体的に会話しているわけでもない。にもかかわらず、マチュへのシュウジへの気持ちはどんどん変容していく。シュウジのことを尋ねられれば、「シュウジのことを知らない自分」に気づかされ、魔女に同じ力を見れば、シュウジと自分の差を可視化されてしまう。そして、魔女の死を見れば……。

 

「あの人には待ってる家族もいたのに。でもそこまで踏み込まなきゃシュウジのいる場所には届かないんだ」

 

 シュウジに近づこうとする、自由を求めるマチュの心は、悪だと思った行為(一言目があることによって、「思ってはいる」ことを描くのも上手い)でも、そこに踏み込むことへのハードルも下げてしまう、というのは戦術の盗みを肯定するだけでなく、クランバトルに自ら踏みこんだ1話から意図的にずっと描かれている。ついに「殺し合い」の領域を自覚しながら戦うことまで来てしまった。魔女の死がマチュにとってのスティグマ(聖痕―いつの間にか浮かび上がる傷)として残る、ということかもしれない。

 この第4話において、キャラクターとしてのマチュには1話から最初から魅力があるように描かれていたが、それがストーリーの魅力として仕上がった印象で、『一年戦争IF』の魅力だけでない、GQuuuuuuXの魅力が完成したと思える。マチュの「自由を求める望み」はどこへ向かうのだろうか。シイコのように「現状に満足しないですべてを求める姿」として悲劇的な結末に向かうのだろうか。それとも、シュウジのように「純粋に一つの願いを求める姿」となるのだろうか。そもそも、シュウジはこの先も肯定される存在として描かれるのだろうか。

 次回、ここまでマスコット的だったニャアンが中心に来るようで、そこでニャアンの魅力がストーリーラインに乗ったらと考えると……期待してしまう。キラキラを知ることが、いいことなのか、それとも。彼女たちの行く末に興味が尽きない。

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

【感想】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q / EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.』―セカイを滅ぼしかける体験

公開当時のことは何となく覚えている。見る感想見る感想すべて大混乱。一体何が起きているんだ…と思ったのを覚えている。当時地上波放映で『破』を見ているので見に行く気はあったのだろうが、映画館で映画を見始めるようになったころくらいだったからか、なぜか必死には見に行かなかったようだ。あのころとは映画館に行きたい欲が段違いな上、旧作も見終わっている今の自分にとっては、『シン』は絶対見に行きたい。ありがたい無料配信で見ることに。正直、確かに困惑したが、楽しく見られた面の方が大きかった。『シン』を見るときのための自分用、という意味合い強めでまとめておきたい。


Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0"YOU CAN(NOT)REDO.


以下、内容に触れて

ここまでガラッと変えてきたことは正直、個人的にはとても面白かった。序であえて旧作と同じことをやり、予告から崩すことを仄めかし、破の途中から変わったものをQで冒頭から完全に変える。地上を走り回る印象の大きいEVAが宇宙に突如として現れるはじまり。使途はEVAシリーズでしか倒せない、という前提をヴィジュアル的にひっくり返すヴンダーの存在。そして2人乗りのEVA。シナリオ的な衝撃度も高いが、シリーズものとしての新鮮さがずっと続くので、好むと好まざると、どんな展開になるのか目が離せなくなる。広々とした空間を見せるカットの多さや、色の少ない中盤と多すぎるくらいの終盤などの色彩感覚もふくめて、「映像体験としての面白さ」を追い求めたものになっているように感じた。シナリオを置いて、絵としてもう一回見てみたくもなる。



この作品で得られる「体験」は映像体験だけではない。この作品はほぼ「碇シンジの体験」だからだ。そこが賛否両論を生む原因でもあるのだが、この作品ならではの魅力としてまずは受け取りたい。正直な話、この「挑戦的な続編」はもしこの構成じゃなかったとしたら、なおさら視聴者としてきつかったとさえ思う。どうしたって困惑する世界の変貌に、困惑するに決まっている。その中で複雑なヱヴァのシナリオの中、様々な思惑を持つキャラクターの心情をたくさん考えようとしたら、まず処理できないだろう。そこで、目覚めたシンジが見た世界としての困惑に共感させてしまう。他のキャラクターの行動は、「困惑している範囲」で考えればよくなる。シンジとほぼ同じように、「なんでだよ!」という気持ちを中心に、ちょっとだけ余裕をもってその「どうして」を考えればいい。そうすればシンジと比較的距離の近い、カヲルやレイ(09)のことを考えるのに集中できる。


碇シンジ体験」ではなければならなかった理由はもう一つある。視聴者が「ヴィレ視点」になることを避けるためだ。要素だけを取り出して書けば、本作のシンジは「世界を滅ぼしかけるきっかけを作り、再びそれを起こす可能性のある人物」でしかない。そして終盤の行動は「まさに再び起こそうとしている」シーンでしかない。字面だけで見れば本当に危険なのだ。つまり、普通に見れば視聴者も思う。「あなたは何もしないで。」と。むしろ旧作の結果を知っているだけに、ロクな結果にはならないと思うのでミサトさんより厳しい目で見てしまう可能性すらある。彼の終盤の…カヲル君が途中で止めようとしたにも関わらず続けてしまうほどの「やり直したい」という衝動を受け止めるためには、シンジの現状への絶望を知る…いや、体験しておくしかないのだ。それでも正直、「カヲル君の言うことを聞きなさいよ!」と思ってしまったもの…。彼の方が詳しいんだから…。


それでもやはり描写されていない他キャラクターの心情や、出てこなかったキャラクターは気になるもので。そこが分かるように『シン』を作ってくれていると嬉しいのだが…まぁ、また大きくひっくり返る気もするのであまり過度な期待はしないでおこう。ヱヴァシリーズは期待通りいかないと思っておいた方が、きっといいはずだ…。「なぜそうなったか」とか「真実」はたとえ描いてくれるとしても、正直作品を見ているだけではわからないような難解さ抜群の単語で満ち溢れた設定がどんどん出てきて、キャラクターの「衝動」メインで描くだろうから、何が描かれるか身構えておけば混乱せず受け止められる可能性もあるし…。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で注目したいこと

とはいえ、せっかくなので期待も込めつつ、『シン』で見たいものを考えておく。一度目の混乱をなるべく少なくできるとのめり込めるかもしれない。小難しい考察をするには資料が足りないし専門家も多数いるだろうので、直感的に思ったことだけ。

旧劇をも昇華するシンジの望む幸せな世界になるのか

とても気になるのが、「さらば、全てのエヴァンゲリオン」というコピーだ。ヱヴァではない上に「全て」と来た。これは期待していいんじゃないか?TVシリーズと旧劇場版から引き続く作品であり、そのすべての完結が描かれるのだと。そもそも『序』においてカヲルくんが「また3番目」とコメントしたところからリメイクではなく続編なのでは…と思っていた。この一言だけならファンサービスの可能性もあったが、『破』では「今度こそ幸せにする」との発言があり、『Q』においてはそのための行動を本編中で取る。『Q』においてはうまくいかなかった、という結末だが、あれだけカヲルが頑張って関係性をつないだのだ、シンジがもう一度立ちあがる時には、カヲル君の後押しを受けて幸せな世界をつかみ取ってほしい…。


しかし、もしこのシリーズ構成だとしたら、やはり「みんなともう一度会いたい」と言って肉体を取り戻した旧劇場版の結末はシンジにとって幸せなものではなかったということで、それを制作側も認めての作劇になるが…。あれだけおめでとうと言わせておいてまったく…。でもシンジは「みんなともう一度会いたい」って言いましたからね。アスカだけが隣にいればいいってわけじゃないのよね。


幸せな世界をつかむとしたら例えばどんな方法があるんだろうか。
①カヲルの言う通り2本の槍を手にして世界を変える … カシウスの槍、いまだ謎ですしね。
② EVAなどが槍の代わりの役割を果たす―なんかね、人の思い色々変えたりするし、シンジの思いにシンジだけじゃなくて誰かが…レイとかが絡んだらうまくいきそうでは?
③ゲンドウの補完計画の中で中核になっているシンジがゲンドウの思惑を超えた働きを見せる―こういうのもありそう。『破』でTVシリーズよりは近づけたんですし、新劇シリーズ全体では何かそういう影響が出てもいいですよね。

アスカの思惑と作品中の役割

『Q』で犠牲になったシンジ以外の描写において一番割を食っているのはアスカだと思っている。序盤はわかりやすい。シンジに対する否定的な目線の一部を構成しているにすぎないからだ。しかし、終盤にガラッとその態度は変わる。最後のシーンのアスカは異様にカラッとしている。怒りも恨みもなく、シンジに対しては「放っておけない」という雰囲気。レイに対しては知っているレイとは違う別人として(以前のアスカなら、いけすかないあのレイと同じ顔、というだけでもイラつく気がするよ…)『Q』の気持ちはともかく、『破』で「一人で強がる」ではなく「誰かと一緒」を意識して大きく成長したシーンを描いているわけだ。あれを単なる死亡フラグ的な意味しか持たない描写だとは思いたくない。思春期ならでは増大される悩みや衝動がセカイに影響を与えるのが旧エヴァだ。そことは違う+の成長を『破』でわざわざ描いたならば、今度はそこがセカイに影響を与えるようになってくれれば、『破』の違いの意味が際立ってくれる。その意味で、アスカが『シン』でテーマに対して果たす役割が何か、ということが一番期待したい点かもしれない。

レイと初号機とヴンダーと

アスカと同じように、レイも『破』においてそれまでとは全く異なる振る舞いをしたキャラクターだ。「わたしも、碇君に、ぽかぽかしてほしい。」うん、とてもよい。巷でよく聞くレイ派かアスカ派か…みたいな問いに対してとくにどちらでもなかったのだがこれで一気にレイ派になったほどに。あざとい、とまで言える振る舞いなのにたまらない。王道だよ。そんなレイの『破』で果たせなかった思いは、救出されてすぐのシンジに対する謝罪しか描かれていない…というか描きようがない。『Q』の最後の様子から言って、「09」のレイの思いもしっかり描きそうな気はするが、初号機に取り残されているレイも、やはりそのままということはないだろう。そんなレイとともに、ヴンダーの核になっているのが初号機だ。しかも旧作以上に明確に「碇ユイ」は初号機の中にいるときた。やはりそんなEVA初号機が中心に来ないとは思えない。カヲルのことから立ち直れたらシンジはきっとレイのいる初号機を目指すだろう。『Q』ではそう見えなかったが、ゲンドウにも恐らくこの後は初号機が大事だろう。ヴンダーの神殺しの力もきっと初号機に依拠しているだろうから、ヴィレにとっても肝だ。
シンジが再び初号機に帰ることで『破』でのエネルギーが良い方向に働いたりするのか。ヴンダーの力によって、ゲンドウの企みをくじくことにつながるのか。一番派手な展開につながりそうな要素なのでつい期待してしまう。

雑多に色々

〇 鈴原サクラの活躍
 せっかくちゃんとした登場がはじめてだ。しかもヴィレメンバーの中では、かつて守ってくれた、という意識が強いからか比較的シンジにやさしい。せっかくだから『シン』では大きく活躍してほしい。

〇 登場しなかった人々
 正直な話、絶望的な可能性もあると思っている。死んでいるのか、「インフィニティのなりそこない」とやらなのか…。どうなっていたとしても覚悟はできている。「こうだったんだ」と言ってくれ。(読み取ってね…で終わること、普通にあるからな…)

〇 EVAシリーズの欠番たち
 当然『シン』でも新たな機体が色々出てくるのだろが、突然飛び出してきた9とか13とかに抜かされた奴らが何かしらの形で登場してくれるととても嬉しい。『Q』を見ても相変わらず仮設5号機が好き。仮設だからこその多脚なのだろうが、ああいう変態的な奴がまた出てきてほしい…。、13号機で手も増えたし、なんならヒト型ですらないやつも出てきたし、期待できるんじゃないか?


『シン』の公開は一体いつまで伸びるやらわからないご時世だが、それまでに何度かまた再放送の機会もあるだろうし、その度にちょっとずつ「わたしの見たいエヴァ」を想像して、盛大に裏切られようじゃないか。

【レビュー】「ミニプラ 魔進合体シリーズ02 キングエクスプレス」

「もう ひらめいてた キーング!」

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『魔進戦隊キラメイジャー』ミニプラ第2弾、キングエクスプレス!本編登場から2回分ですぐ発売してくれるの、とてもありがたいですね。原作再現がはかどるわ

バリ取りはしましたが基本素組みです。

 

 

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魔進ジョーキーは4つ分、魔進エクスプレスは2つ分の計6つ分で完成。ジョーキーは1両1箱の4両編成なのでなんか1箱作り終わる度にちょっと仕上がった感があって飽きずに作れましたね。

 

魔進ジョーキー/スモッグジョーキー

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キラメイストーンモード。最初に登場したシーンではこの形で…この写真(ミニプラパッケージ通り)とは上下逆でした紫のクリアパーツがもうきれい。魔進ファイヤよりやや小さいかな?くらいですね。

 

 

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この4両が…

 

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こう。長い!!

1両目と4両目は腕になる部分なので肘関節に当たる部分が曲がるのと、2両目3両目が脚部なので片側にはいくらでも曲がります。右カーブは少々苦手ですが、左カーブならばかなり曲がります。

 

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初登場時の魔進対決を再現してみるとキラキラしてて良いですね。

 

 

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「変形だ!ジョーキー!」

 

 

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1両目と4両目がつながって首からしっぽまでを構成してるんだなあと思いつつ。1両目と4両目のジョイントがやや心もとないように見えますが、案外動かしていてもそこは取れません。魔進ジョーキー状態のときのジョイントの方が曲がる方向が一定なので違う方向に曲げてしまうとぽろぽろとれます。

 

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ミニプラ定番、変形直後スタイルとアクションモード。向かって右がアクションモード。腕も足も大分位置が変わるので、アクションというよりプロポーション重視な感じかな、と。腕の開き幅が減り、高さが大分減るので、再現度を重視しない場合は通常状態もアリ。

 

 

 

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なんかよちよち歩きそうでちょっとかわいく見えてくるね。

 

魔進エクスプレス/キングエクスプレス

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ジョーキーと違って全く記憶にないキラメイストーンモード。映像確認したら最初の一瞬これだったけどこの向きでは一切出てきてないですね。すぐくっついてエクスプレスになってました。

 

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白ベースに赤ラインと青のカラーリングがマシンとして良い。ジョーキーを乗っ取るとさらに長い!

 

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顔は変形用は小さくて味気ないので差し替え。サングラス風のファンキーな感じがオラディン王の素が出ちゃってる感じでいいよね。改めてみても白と黒がはっきり分かれる色合いがたまらん。

 

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向かって右、腰アーマーを上にあげるのと、つま先を前に出せるのがアクションモード。腰はかなり可動域が広がります。つま先はプロポーションが良くなりますが、接地があまり良くならないのが惜しい。足首可動がないのでちょっとコツがいるものの、ハイキックの再現も出来ました。

 

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「クリスタリアに伝わる伝説の四巨神の一角、音速の巨神…もう一度味わおう」

 

 

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「バーンブラッカー!!」「それいただき!」

 

 

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「キングエクスプレス・バーンプラスター!」

 

 

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すでに魔進も7色で、クリアパーツも合わせてとてもきれいなので、今後の魔進も期待しちゃいます。「伝説の四巨神」ということであと2体は出ますよね。次は何色かな…。

 

 

【感想】『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号』―今の自分はちゃんとかつての自分の先にいるのか

イマジネーション、という言葉が好きだ。想像力があればつまらない、なんて日々は存在しない。昨今の状況でスーパーに買い物に行くときだって、スーパー内の誰であっても接触が危険だと想像して回避していれば、身も守れるしFPSっぽい楽しみもできる。一石二鳥ではないか。


そんな「イマジネーション」を戦う力としたヒーローがいた。トッキュウジャーである。(彼らはそんなに世知辛い創造はしないだろうが…)だから、彼らが帰ってきた続編を見てみれば、それはそれは素晴らしいものに仕上がっていた。他シリーズの気軽に見られる感覚で見始めたらもう涙腺が刺激されるのなんのですよ。


そもそも『烈車戦隊トッキュウジャー』は、ほとんどの回が明るく楽しい雰囲気で包まれている。ゴレンジャーハリケーンを彷彿とさせる、コミカルな必殺技に象徴されるギャグテイスト。しかしその雰囲気が覆い隠すほど重い宿命を背負っているのが魅力だ。だから、そもそもその作中の雰囲気自体が、本編終了後のVシネマ展開に見事にマッチしているようにも思える。重たい展開の続きをやりつつも、カラッとした笑いに包んでくれる。感じ方はそれぞれあるだろうが、本編を見た人は、見ておいて損はしないのではないだろうか。


行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号



以下内容に触れて


冒頭から見知った声が話す、公務員試験の話。本当に店を継いでいいのか…という悩み。最初からできれば聞きたくなかったと思えるような会話が繰り広げられる。案の定、本用に大人になった彼らからはイマジネーションが失われている…。やってほしくはないけれど、やるならこれしかないよな…という展開から始まる。しかも、こういう時大体は「力を取り戻す」ことを行動目標とすることが多いが、それすらもしようとしない。「今の私たちには無理」…そこまで落として来るか!という辛さが冒頭から押し寄せる。


完全に「大人になってしまった」彼らを動かすきっかけに、本編のイマジネーションに満ちていたころ、小学生時代と対面させる。これだけならよくある展開だろうが、彼ら小学生時代は、ゲストではない。「本編の主人公」だ。だから「大人時代の彼ら」のシナリオ展開に合わせた行動を取るだけにとどまらない。卒業式前日を控える中で、ライトが果たそうとする約束という子どもらしいドラマが展開されていく。二本の軸を持ったシナリオが、タイムスリップ展開で絡みあう。


イマジネーションにあふれる子ども時代を見る、というだけでもシナリオは動かせそうな所だ。しかし、仮に未来の自分であっても、言うとおりにするのではなく自分の思うように行動する姿。自分の大人時代が信じられないというライトの思い。完全にあきらめ、「大人」になってしまった彼らがイマジネーションは取り戻せると気が付く瞬間。心から良かった…と目頭を熱くする。イマジネーションを失ってはいけないという思いを、大人として新たに持つ。


もう十分に満足できそうな所に追い打ちをかけるのが、まだ中盤。小学生時代の5人が約束を果たすために会う相手がトッキュウ6号―明であり、そこを媒介に小学生時代の5人と、敵の関係性がつながる。




虹野明は、追加戦士らしく、シャドーラインとの関連性が深いキャラクターだった。正直、もう本編で彼については語りつくしているのではないかとさえ思っていた。いつもの頼れるお兄さんポジションで、神出鬼没に出てきてくれるだけでも、続編としては申し分ない。そのうえで、むしろ彼の出自、シャドーラインの怪人に戻そうとされる。またやるのか?と思いつつも、そこから自分を取り戻す過程だけでも泣きそうになった。♪雨のちレインボーのアレンジが流れてくるし…。そうして迎えたクライマックス直前、「またやった」意味を知る。もう一度大人時代の彼らと明をつなぐ。子ども時代の、お互いに忘れない、そばにいるという誓いが未来で果たされているという素晴らしさ。無駄なくいろいろな要素が連結していくシナリオの中、最後に明るさ満点で送られる戦闘シーンの中、最後に二つの時代の5人の動きがマッチする。かつてのイマジネーションを取り戻した大人。思いを託され、身体的な力が足りなくてもヒーローになった子ども。どう見てもコミカルに描かれている(決着はもう「明らかですよね?」というスタイルだし…)最後の戦闘シーンに、このVシネマ全体のシナリオの終着点がこもっている。


単純なサービス要素もたくさんあるから、最後まで楽しい。
大人の気持ちを明るく戻してくれる「キラキラ」したこの作品を、また「帰ってきて」見ることもありそうだ。

【総評】『仮面ライダー剣』―本能ではなく、意思を持って闘争したからこその結末の「エモさ」

特撮ファンとしての最大の悔いがやっと晴れた。『仮面ライダー剣』の再視聴を終えたことによって。


放映当時、序盤は毎週楽しみにしながら見ていた。面白くないと思ったことなど全くない。それなのに、受験期の忙しさから、意図せずいつの間にか見なくなってしまっていた(しかも最終話だけは家族がつけていたので見ている)。後年、『電王』でも同じことをやってしまっていた。悔やんでも悔やみきれない。しかも『剣』に関しては、まだ順番に見ないと気が済まない!という気持ちが弱かったために、のちに弟がDVDで視聴する際に中盤の数話を除いて半端に一度見てしまった。10数年の間、「俺はまだ真の平成ライダーファンではない…」という思いが所々顔を出してきた。だが、もう恐れることはない。私は平成ライダーファンだ。


後に続く者たちが同じ目に合わないよう切に願う。どんなに忙しくても、リアルタイムで追いかけないことは悔いが残る。鉄則だ。ゆっくりでも追いかけていこう。接触をゼロにしてはならない。戦わなければ生き残れない。


『剣』は最終回がとても評判の高い作品だ。話題になる度に「終わり方がすごい」などと言われる。確かに、放映当時にそれまでの流れを全く見ていなかった状態で見た最終回にもパワーを感じていた。「これはここだけ見てはいけなかった」と。終盤の展開については様々な人が繰り返し語っている通りで、改めて見ても素晴らしい。人間みんなを守ると言っていた剣崎一真がそれを実現するのみならず、人間の中で生きようとするジョーカーも守る。「運命と戦い続ける」ことを選択するという自己犠牲のもとで。


一方で、序盤はあまり評判がよくない印象がある。ダラダラとライダー同士の戦いが続く、といった評価を目にしたことも多い。しかし、本当にそうだろうか。『剣』の最終回があれほど「エモく」なったのは、序盤から引き続く「ライダー同士の戦い」あってこそではないか。


仮面ライダー剣 (ブレイド)VOL.5 [DVD]


『剣』に登場する仮面ライダーは、TV本編では4人に絞られる。最初期から出ている3人も、追加されるレンゲルも、ことごとく「ライダー同士の戦い」を繰り広げる。『龍騎』のように戦いをゲームとして強いられているわけではないが、共闘すらしないのが最初期だ。敵対関係ともいえる闘争を続け、味方には決してならずに戦いを繰り広げるさまは確かに序盤のフラストレーションの要因だったかもしれない。しかし、それ以降、この闘争こそがむしろ『剣』全体の魅力を引き上げていくと言えるのではないか。当然、段々4人のライダーは戦いの中で交友を深めていく。普通ならそれは、仲間になり、黒幕的な敵との闘いに向かっていくことだろう。しかし、『剣』において完璧にそうだ、と言える展開になるのは終盤の数話にすぎない。交友を深める中でも、手を変え品を変え闘争の構造を巧妙に続けていく。それどころか、一度4人の共闘になっても、最後までそれを続けることは許してくれないのだ。


第44話

第44話

  • 発売日: 2015/08/27
  • メディア: Prime Video


当初は自分本位な争いが多い。始はアンデッドの本能のままに襲い掛かり、橘はライダーシステムに増幅された恐怖心を払うためには何でもやる。そんな2人のライダーの振る舞いに対し、当初は説得するも、徐々に打倒してでも人々を守ろうとする剣崎。(まぁ、もう少し相手の話も聞いてあげて…と思うこともあったが。)人に害なすアンデッドを、それぞれの理由で封印しながら3人はお互いに闘争する。そこに睦月が、カテゴリーAの邪悪な意思に徐々に呑み込まれる、敵対しやすいライダーとして参入すれば、橘は自分の過ちを繰り返さないよう、彼を救おうとする立場におさまる。そして、敵のような振る舞いをするライダーという立場が入れ替わるかのように、天音以外の人間を守る始の善性が見え始め、剣崎がそれを守ろうとする。


睦月が強さだけを求めてさまよってしまう間は、橘が救おうとする相手が剣崎に変わる。今度こそ、と。ライダーシステムのせいで恐ろしいことにはさせないと(こう書いたとき、キングフォームの「リスク」は序盤の「体がボロボロ」が実際には問題なかったことの逆なのだと気づく。融合係数が低いから問題を生じた橘と全くの逆)。救うためには剣崎の思いとぶつかることも辞さない。中盤以降、睦月以外は「守るためには戦うしかない」状況が、序盤から引き続く思いから自然に紡ぎだされていく。そして最後にはすべてを乗り越えた睦月が、世界を平和にするために考えた結論として戦う。彼もまた、邪悪な意思に取りつかれていたころとは異なる理由で信じたいと思っていた始と闘うことを選択しなくてはならない。


その闘争を引き起こすためのアンデッドと世界観の構成もたまらない。シナリオが常に闘争を強いてくる。序盤こそ単に人類の敵でしかなかったアンデッドが、キャラクター性をもって絡みはじめることで彼らとの接し方でまた衝突する。全部で53体しかいない設定を乗り越えるために、人造アンデッドであるトライアルシリーズを出すタイミングも絶妙だ。そしてアンデッド以外の悪を出すことによって完全な共闘を描いてからの、運命そのものとも言えるジョーカー勝利を描く流れ。安易に共闘できない仕組みが闘争を生む。


終盤において、ライダー同士の関係があれだけドラマチックになったのは、様々な闘争を経たが故なのだ。つい目を引く剣崎と始の関係だけではない。人類を守ろうとするために合理的な選択を取ろうとしてきた橘が、始を失いたくない仲間として守ることを選ぶのも。始が剣崎以外にもメールを送りティターンをだますのも。睦月がジョーカーの封印を最後の最後まで選ばなかったのも。すべては彼らが闘争をし続けた結果として現れる。本能で争うアンデッドとは違う、運命を切り拓く意思が起こした闘争の結果として。だからこそそれぞれの選択が、結末が、胸を打つのだ。


今もきっと、彼らは―剣崎以外も―戦い続けているだろう。例えアンデッドがいなくとも、平和を守り、仲間のためならどんな相手とも戦う覚悟がある彼らだから。